ハ狂2の試練は、どこまでもつづく。
今日は、東西線の門前仲町を降りて、演奏会に参加した。
プライベートかつ非公開ということで、予定通り、ハ狂2を敢行。
演奏前、子供の頃に観た「トムとジェリー」の話をした。
ピアニストになったトムが弾くハ狂2の流れの中でのジェリーとの困らせ合いが、脳に刻まれている。当時、そういう曲じゃなくても、ピアノ演奏が左右の手が違う動きをする曲芸のようにみえていて、「曲芸」にあこがれなかったが、三十数年後、そのハ狂2を練習しているとは、、、、
ビデオを撮ったので、帰りの高崎線で聴いたら、ラッサンのぎこちない3度、フリスカの不安定なテンポ、、、、まだまだだなー。
去年10月の桐生のハ狂2と比べたら、練習で改善できた部分はある。
今回は、カデンツァを入れたが、献呈のホ長調の部分で奇をてらった。
来週の前橋も初対面ピアノだから、今日ミスしたところを1週間徹底的にやるしかない。
独学の近況
習っても上達しない人はいる。
習うことを嫌う人。先生が厳しくて嫌とかではなくて、そもそも、指導されること自体が駄目な感じの。。。
これはもう、そういう遺伝子というか。。。
仕事で、ときどき、ある工程の作業を初めてやる方に、その合理的な手順を説明することがある。短時間で生産能力を最大化しなければならない状況では、試行錯誤させている時間はない。
説明した通りにすぐできる人もいれば、そうでない人もいる。
ある人は、「好きなようにやらせろよ!!」と猛反発した。
ある小学生は、学校の合唱伴奏を担当していて、その都度、僕が教えている。学校での伴奏は期限があるし、趣味でソロをやるのとはまったく違って、何かあった時の影響が大きい。いつも気になるのは指づかいである。それを意識せずに弾き込んでしまうと、本人がその改善の余地に気づきにくいし、後で変更するのはやっかいだ。その子にきっぱり言われた。
「教えられたくない。自己流でやりたい。」
指導を拒むのは、自己流に自信があるから?
あるのかもしれないが、原因はそこではなくて、もっと深いところにある気質の部分だ。
このような方は、指導の言葉で傷ついてしまうのである。
どんなに丁寧に言っても、傷ついてしまう。そして、こじらせる。
ちょっとしたパニックをひき起こし、小さな子供なら泣き出し、大人ならいらだち、怒りだしたり。。。感情を伴って反発するのは身を守る本能によるものであって、襲いかかってくる強烈な刺激に歯止めをかけている。
指導者にしてみれば、言うことをきかないのだからめんどくさい。本人のためという信念で、やってほしいことを強いることになってしまいがち。これは、モチベーションを下げてしまい悪循環に陥ってしまうかもしれない。
実は、だいぶ前から、この”指導で反感”について気になっていて、練習会で会った人とレッスンの話をしているときに、「アドバイスされて腹が立たったりしないんですか?」と、きいたことが2回ある。返答は、いずれも期待外れで、”それはない”だった。まぁ、腹が立っちゃう人は習わないか。
I play the piano.の”the”についての記事を発見。
"the"をつけない場合があって、例が載っている。
”play a piano”とか、”play piano”という言い方も。
近頃、英語は気になっている。これ読んでるから。
著者が、カプに”ヴァイオリンを弾いてみましたか?”ときいているところで、”to play violin”となってる。さらに、”つまり、ピアノを独学で?”という質問でも、"to play piano"なのである。
飛行機苦手なんだよ。ウフフッ。。。
きっぱり、「現代の英語では特に楽器にtheがついてなくても気にされません。」と言う人も。。。
ふざけて作曲してしまった。
あるところで、BGMがピアノで、静かに流れていた。
クラシックではなく、イージーリスニングか何か。
とてもシンプルで、フワッとしている。
これぐらいだったら俺も作曲できるんじゃね?
な~んて、話してて、
翌日、自宅で2時間ぐらいで作ってしまった。
50秒ほどの。。。
しかし、まったく不吉な空気が漂う曲だ。
きれいなメロディは、頭に浮かんでも、聴いたことのある曲に似てしまっているからね。方向転換して、真のオリジナル作品となった。
PCに演奏させて聴くと笑ってしまう。
練習の息抜きになるね。